ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

ひきこもりUXフェスに行ってきましたよと

 2018年2月25日に東京ウィメンズプラザで開かれたひきこもりUXフェスに参加してきた。何かしら得るものがあればいいなと思って参加したのであった。その感想とレポートをば。当日、最初は都バスを乗り継いで行こうかなと恐ろしいことも考えたが、東京マラソンの日だと誰かが教えてくれたので地下鉄にした。危ない危ない。

 ホールで開かれた講演会は全部すっ飛ばして、当事者会を二か所はしごしたのであった。最初はひきこもり男子会。「恋愛」テーマに50分も話を聞いたり話をしたりしたのであった。皆さんガチで恋愛したいんだなぁと。そりゃお年頃だから当然かぁと思いつつ、実は私は全く別のことを考えていたのであった。それは、「恋愛はしんどい」。とにかくしんどいんだ、恋愛って。恋愛に溺れたことも溺れられたこともあって、その体験から恋愛はとってもしんどいと感じるようになってしまった。では恋心が全くなくなったかと言えばそんなことはなくて、恋愛感情は確かに抱くのだけれど、その感情を持て余してしまっているのが現実。ってなことを私は会で話した。周囲の人たちの話を聞きながら、それでも自分が何を求めているかの整理くらいは付くのであった。非性愛的でありながら、しかし非流動的な関係を女性と取り結びたいと私は考えたのだ。互いに出会って、で、お互いに理解しあって、なんだかんだと交友しつつしかし性愛には至らないような、そんな関係が心地いいなと私は思ったのでありました。そこに性愛が絡んでくると本当にしんどくなる。性愛は長く続かないうえにいろいろ余計なものがくっついてくるけれども、友愛ならそういうことはあまりない(と、私は思う)。

 矢沢あいの漫画「NANA」の3巻に小松奈々のモノローグとして次のような一節がある。

 

 もしもナナが 男だったら

 一世一代の恋が出来るのに

 あの頃あたしは よくそう思ってた

 だけど そしたらこんな

 楽しい思い出ばかりには

 きっと ならなかったよね

 恋に痛みは つきものだから

 溺れてゆく程

 苦しいものだから

 

 私は、このモノローグにとても共感する。だからこそ友達として付き合っていくのが私にとっては心地いいと思うのだ。友達なら別に女性じゃなくて男性とでもいいんじゃね?ところがさもありなん。とはいえ、男同士の友情というようなホモソーシャルな関係はこれまた嫌で、できれば中性的な関係がいいと思ってしまうのだ。Facebookで私のプロフィールを見た人ならお気づきかもしれないが、私は性別を「Gender Nonconforming」としている。自分の男性という性役割にどうしても違和感を感じてしまって、だからこそ自分が男性だと言い切るのには少しばかりの躊躇がある。恋愛がしんどいというのにはそういう事情も関係している。とはいえ、性自認は男性だし、身体上の性別も男性であることは間違いないんだけれど。だからセクシャルマイノリティというほどのことではない。以前某所で「自分が女性だったらよかったのに」と書いたらとある人に「それは特権を持っている側の人が言っていい言葉ではないと思います」と忠告されまして。確かにそれはその通りだと思ったのでありましたが、ただ、どうやら単純に憧れている、と言うわけではなく自分自身の性への違和感ってのが底にはあったってことだけは書いておくかなと。

 

 と、ひきこもり男子会が終わった時点で、すでにエントリーしていたひきこもり合コンのエントリーをキャンセル。怖気づいたってのは確かにあったのだけれど、ほかの男性たちが語る恋愛への渇望に大いなる違和感を個人的に感じてしまい、それが合コンへのエントリーをキャンセルさせたのだと思う。私は、恋愛をしたいのではなく、非流動的な関係を結びたいのだ。この二つは私の中ではしっかり区別されている。ほかの人から見たらわかりにくいだろうけれど。漫画「NANA」のナナとハチみたいな関係がひとつのロールモデルかな。

 

 ひきこもり男子会が終わってから非交流スペースに行っておにぎりを流し込む。それから今度はひきこもり当事者会に行く。どのテーマもしっくり来なかったので、折り紙しながらフリートークのテーブルにつく。実は私にとってはここが一番心地よかった。男女比も偏っておらず、男女関係なく混じり合うことができた(ように私は感じた)。合コンと言うと恋愛がどうしても念頭にちらついてしまうが、恋愛がしんどい私にとっては、恋愛関係なく男女で混じり合って交流できるこのスペースがとても貴重だった。合コンよりもこっちの方が私の肌には合った。ただその後連絡先を交換しましょうという流れには当然のごとくならなかったわけだけれども。私にとっては、むしろこういう場をもっと長くしてくれた方が良かった気がする。

 当事者会が終わった後もスペースはフリースペースとして開放されていて、そこに残っていた何人かの方と話をしたりした。そこでもまたつながったルートはいろいろあるんだなあと思ったり感心しきりだった。残念ながら女性の方々は女子会フリースペースに行かれてしまったけれども。

 同じ時間、別の部屋では合コンが行われていて、結構様子が気になる人がいた模様。私も気になるには気になった。ただ、ガチで恋愛やる目的のように思えたのでどうしても怖気づいてついに参加することはなかったのだけれども。何はともあれ合コンの方も盛会でなにより。

 と、一日参加してきて、自分にとって何が欲しいかってのはよりくっきりはっきりとし、しかしそれがとても得難いものであることをも同時に認識して、ある種絶望すらした一日であったのだった。どうして男女間の関係となると恋愛とかそういう話が出てきてしまうのだろう。どうして男女間で対等な関係が取り結べないのだろう。どうして男性は女性を怖がらせてしまうのだろう。そんなことをいろいろ考えたのであった。結局、女性との非流動的な関係の端緒は得られなかったわけだけれども、結局のところ男女間の圧倒的な力の差が影響してしまっているのだと思う。

 ちょうど報道では女性専用車両に乗り込むバカ男たちが話題になっているけれど、あれもまさに男女間の力の差がはっきりと表れている局面であって。こういう現実がある限り、私が望むような男女が対等に混じり合って交流するなんてのは難しいんだろうなあと思って今抑鬱気分なんですけれどもね。