ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

非流動的で、なおかつ非性愛的な関係であること

 先週、ひきこもりUXフェスに行こうかどうか迷っていた時に、とある人から「アナタは異性の理解者を求めているんだよ」とズバリ指摘された。私はそれを聞いて、目からうろこが落ちたのであった。そして、そんな理解者と安定した関係を築いていければいいなと、儚い希望を持ったのであった。それは恋愛とはまた違っていて。恋愛関係は本当にしんどいんだけれど、でも安定した関係を求めているのである。ただ、現実にはそんなのなかなか存在せず。少なくとも私はそういう関係に恵まれたことはなく、一時そういう関係を作れるかなと思ったけれど結局無理だったことに直面して今は気分が重い。実にあっさりと壊れたものです。
 一人との関係が終わっても、また別の人を探せばいいじゃないと、まあそれはそれで正論ではあるんだけれど、それもなんだか気乗りしない。消費しつくしたら次の関係をデパートかスーパーに行って買ってきて使い捨てにするのと同じようにしか私には見えないのである。そして、それは私にとっては実りがないと思ってしまう。それって単純に入れ替え可能だよねと。次々入れ替えていくことそのものが不毛だと思うのです。
 非流動的で、しかし非性愛的な女性との関係ってのを私は切実に欲して「いた」。確かにこの10年、良き支援者には恵まれた。でも親しい同輩関係ってのはほとんどと言っていいほどなかった。この歳になっていまさら、なのだろう。私は諦めないといけない、と自分ではわかっている。だけれども、その諦めた後の日常はとても苦痛なのだ。そりゃネットを介してつながる人はいても、時々会うような友達っていなかったよなぁと。ひきこもってからずっとそれを求めていたのだけれども。