ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

《システム》は複雑化した。人間は追いついているのか?

 文明というものが生まれてせいぜいが一万年も経っていないはず(うろ覚えの歴史の知識をフル動員している)。西暦が始まってから2000年くらい。今の文明はそんなに歴史が長いものではない。さて、その2000年の間に、人間が文明と呼んできた《システム》は高度に発達した。その高度に発達したシステムから私たちは多大な便益を得ている。便益を得ているのはいいんだけれど、その《システム》を回していくためには膨大な知識が必要で、それを記憶しなければならない。知らず知らずのうちに私たちが日ごろやっていることではある。とはいえ、人間の遺伝的形質が2000年の間に大きく変わったかといえばそんなことはないわけで。文明が進めば進むほど取り残される人たちが増えるのは必然のような気がする。教育ってのはまさに《システム》を動かすための知識を伝える営みであるわけで。文明が進めば進むほど教育に耐えられない人が増えるのもこれまた必然のような気がする。もしかしたら、不登校もそんなところから来ているのかもしれないと、ふと思った。

 

【ずいぶんあとになっての追記…2023年2月3日】

 この追記を書く数年前のこと。NHKスペシャルで、コンビニのおにぎりが並ぶまでの過程を取り上げていた。チリで養殖されたシャケがタイの工場で加工され、東京港に陸揚げされておにぎり工場でおにぎりになり、コンビニに並ぶ。これだけの巨大システムがひとつのおにぎりの裏に動いていることを知って、恐ろしくなった。どこか一か所でも止まれば、おにぎりは食べられなくなる。こんな巨大システムがいくつもいくつも動いて今の社会は成り立っているのだろう。そんな社会が、人間の手に負えなくなっているのではないかと危惧している。