ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

某お役所が運営するひきこもり当事者の集いと交流してきたぞ

 今週、とあるお役所が運営するひきこもり当事者の集いの交流企画に参加してきた。私は単純に交流しておいしくご飯が食べられればそれでいいじゃあんと気楽な気持ちで参加したのであったが、その某お役所の集いのメンバーたちは企画書書いて目的を設定してと、いかにもリハビリテーション然とした動き方をしていたのであった。行政がやるのだから、どうしても「リハビリテーション」が前に立ってしまうのはわかる。メンバーたちが作って現地に持ってきた企画書にはなかったが、私にはその企画書の上の方に役席が決裁印を押す枠のスタンプが押され、スタンプで描かれた枠の中にいくつもの決裁印が押されているところが簡単に想像できたのであった。だからこそ、目的のところにはリハビリテーションに資する「目的」が書かれていたりしたのだろう。でないと役席の決裁が下りないだろうから。

 で、そういう光景を見ていて、私は思ったのであった。ひきこもり当事者や経験者が集まる場は、行政ではなく民間が主導して運営しないとダメだと。行政の官僚的なシステムにはどうもなじまない気がする。もちろん行政の手助けはあった方がいいのだけれど、それは市民活動支援という枠組みで行うのがよいと思われる。なるべく細かい条件を付けることなく、とりあえずインフラを提供する。それが行政のできることであろうと思った交流企画であった。

 あまり行政の悪口を言っていてもしょうがないのではあるけれど、さすがに東京都のひきこもり施策の主管部署が「青少年・治安対策本部」であるのはどうかと思う。ひきこもりの当事者はゴジラかエボラ並みのようで、しかも治安問題と同列に並べて「対策」しなければいけない課題だと東京都は考えているわけだ。こりゃだめだなあと。行政がやると往々にしてこうなる。

 

※お役所のことしか書いてないじゃないか、肝心の会はどうだったんだという声が聞こえてきそうだが、会の参加者とこんな交流をしましたなんてのは紳士協定上書けるはずがない。安心して書けるのはお役所の話くらいでね。