ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

家族を支配していた代償

 その昔その昔、高校生の男女が一か月だけ共同生活して、うまくいったら結婚する、なんて仕立てのバラエティ番組があった。番組名はあえて書かないけど。その中に出てきた高校生、男子は高い収入が期待できる建築関係で働き、女子は家で家事。今思えばめちゃくちゃ性別役割分業。わたしが持っているステレオタイプな封建家族のイメージによく合致する。建築関係の職人である男性は、自分が働いて妻子を食わせ、妻子は家長たる男性に付き従う、そんなイメージ。現実の建築関係の職人がどうなのかはデータが見つからなかったのでたぶんこのステレオタイプは間違ってるだろうけど。

 

 と、思い出話と与太話から始まったけど、なんでこんなことを書いたかと言えば、Facebookで高山義浩先生の次のような投稿を見かけたから。

 

 沖縄の男性が、歳を取るにつれて弱っていくなか、家族に対して威勢を張るのは止められない。そんで、パートナーに捨てられて、スナックに行って互いに癒し合い、誰もいない自宅に帰る。そんな生活をしている男性たちがかなりいる。一方、沖縄県立中部病院で新型コロナの診断がついた男性の半分くらいがスナックでの感染が推定されるとか。さらに、沖縄県内では中高年男性の感染者数が増えているとのこと。そんなことが書かれていた。

 

 わたしはさらにあれこれ想像してみた。稼ぎがあったころは、「俺が稼いでいるのだから」と家庭内で家族を支配してきたが、稼ぎがなくなった途端にパートナーに見捨てられた。その寂しさをスナックで癒す。そしてスナックで新型コロナに感染してしまう。そんな様子が想像できた。当たり前だ。誰が自分のことを召し使いのように扱うような人と一緒にいたいだろうか。家族の絆なんて高山先生はおっしゃっているけど、下手したらDV加害者だったかもしれないような人たちと、被害者だったかもしれないような人たちとで、さあ関係を修復しましょうと言われてもなかなか難しい。妻子を支配するのは当然と言うような男尊女卑的価値観の中で生きてきて、それで良しとしてきた人が、いざパートナーに見捨てられて、スナックにしか居場所を見出せなくなったのは当然の帰結だ。その代償が新型コロナに感染するという、あまりにも高すぎるものだった。

 

 まあ、確かにパートナーに見捨てられた男性たちは生きづらいだろう。そのことはわかるんだけど、その生きづらさは、外で稼ぐ代わりに家族を支配してきたことの代償でもある。なので、支配―被支配という関係から降りなければ、どうにもならんってことである。男尊女卑的価値観を実践してきて見捨てられたのは自業自得、新型コロナに感染するのも家族を支配してきた代償だ。とはいえ、その代償が命だとは、あまりのも重すぎる。やっぱり何とかならないかと考える。実際、わたしもそういう価値観の親に好き放題されてきたので、本音ではそうやって切り捨てたい気持ちがないわけではない。だが、それではあまりにも救いがなさすぎる。とはいえ、自分こそ偉いんだ、妻子を支配するのは当たり前なんだ、そういう価値観を持ち続けたまま救いを求めるのもわたしには許せない。

 

 やっぱり、「我こそが家族を支配する権利のある家長である」なんて価値観を捨てていただくこと。これが一番難しいのだが、そこをクリアしないと展望は開けない。そういう価値観って、往々にして、「男らしさ」とかそういうのにくっついているものだったりする。そこから、対等な人間関係というものはどういうものか、学ぶ動機ができ、実際に対等な人間関係を実践するようになる。そうすれば、わざわざ自分で壊した「家族の絆」なんてものにすがることはなく、同じような男性たちで地域で癒し合うことができるだろう。

 

 というわけで、最後にこの記事を紹介して締める。

 

 

 新型コロナウイルスは、これまで見てみぬふりをしてきた様々な問題を次々と明るみに出しているのだけど、男尊女卑的な価値観というか、家族を支配する男性たちという課題まで、それも残酷な形で明るみに出すとは思わなかった。