ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

「人格」を操作する恐ろしさ

 NHKスペシャル「2030 未来への分岐点 (5) AI戦争 果てなき恐怖」を見終えた。AIが人間の思考さえも自由自在に操作することができる未来。そんな世界が、もうすぐそこまで来てしまっている。わたしは、そのような未来は来てほしくない。他人の意思を自由自在に操作するのは、間違いなく人間の領分を超えている。

 先のNHKスペシャルでは、敵国の政府に対する市民の不満を煽るためにAIが使われる例だった。では、こんな例はどうだろう。

 2050年。ひらのさん(もちろん仮名)は、「働けない悩み」を抱えてセラピーセンターを訪れた。
ひらのさんは、一室に通された。そこで、ひらのさんはAIによってセラピーを受けた。この時代のAIは2021年には考えられないほど進歩していて、たった2時間のセラピーで、人間の思考を自由自在に操れるようになっていた。
2時間のセラピーを受け、「働けない悩み」は見事解消。早速仕事を求めて出て行った。
このような未来は、あり得る未来、それも高い確率であり得る未来。かつての戸塚ヨットスクールのように「暴力的」ではない。セラピーを受けたひらのさんも高い満足を感じている。
このセラピーは倫理的だろうか?
暴力的支援団体と聞くと、手法の問題にどうしても焦点は集中してしまうが、手法が暴力的でなければいいのか。ここで紹介したような「セラピー」は暴力的ではないのか。暴力的支援団体の根本的な問題は、誰かの人格を目的ではなく手段として扱っていることではないのか。一見ソフトな「支援」をしているところであっても、結局は暴力ではないのか。