小さなころ、「幽霊」を見たことがある。漫画によく出てくるような、いかにもな幽霊。大人になった今ならば、たぶん、あれは寝ぼけて半分夢を見ていたのかなと思う。
「金縛り」も何度も体験した。初めて金縛りを体験する前に、「特命リサーチ200X」で金縛りのメカニズムを知っていたので、心霊現象などとはまったく考えたことはない。今でもときどき金縛りを体験するけど、「眠りからの目覚めが悪いな」と感じるだけだ。
どちらも、科学的な知識を持っていなければ、幽霊のしわざと考えたかもしれない。もしかしたら、数々の「恐怖体験」をしたのかもしれない。さらにもしかしたら、宗教に入っていたかもしれない。自分のものの見方など、実に当てにならない、偏見に満ちたものだと思っている割には、ついそのことを忘れてしまう。
ものを見るときに偏見を持つのは、精神科医も変わらないようだ。
この本の中で紹介されている実験に、ローゼンハンの精神医学診断実験がある。患者のふりをして精神科病院に行き、実際に患者として入院させられた。
精神科医たちが、「精神疾患がある」との偏見を最初から持って「患者」を診断していることを暴露した。
当然のことながら、精神医学界は大揺れになった。その結果、診断システムは大きく変わり、今ではかつてのように患者のふりをしても見破れる…はずだった。
著者であるローレン・スレイターは、自ら再実験を試みる。結果は、すべての精神科病院で「精神疾患がある」と診断された。
21世紀になっても、精神科医は、偏見を持って患者を診ることから逃れられないようだ。
それでも、相違点はあった。著者によれば、かつて行われた実験とは違い、どの精神科病院でも、親切に、共感をもって、やさしく扱われたと言う。著者は続ける。これが精神医学の祝福されるべき人間的な側面だと。
「化学物質過敏症」の存在を主張する臨床環境医も、おそらく善意は本物なのだと思う。わたしは、初めに結論ありきでものを見ているとしか思えないけれども。そして、それが患者さんの状態をより悪くしているのではないかと疑っているけれど。
同じく、「化学物質過敏症」を訴える患者さんも、「化学物質が原因だ」との結論が先にあって、その結論に沿うようにものを見て、感じているとも思う。
それを批判するのはたやすい。よくやりがちなことだ。だけれども、苦痛を現に感じているひとが目の前にいるのは事実で。苦痛を感じている人に親身になり、共感し、痛みを分かち合おうとすることはできるのではないか。「誤診」をした精神科医のように。
医者相手ならいくらでも問い詰めたらいい。問い詰められるのも、医者の仕事なのだから。きちんとした説明をするのも、もちろん医者の仕事だ。
だけれども、実際に苦痛を体験している当事者には、共感と親切をもって、接しなければいけない。そうでなければ、よくなるものもよくならない。そのことを、今回改めて痛感した。