ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

人間性を失うのは、そんなに難しいことではないらしい。

あの発言から、大量虐殺を連想したのはわたしの過剰な連想だったのかもしれない。そうではないのかもしれない。
 
だけど、大量虐殺を連想しなくていいのは幸せだなあとは思う。
 
亡くなった祖父が、生前、戦争で行った南方の島で何をやってたか話していたという。とても残虐な行為で、平時なら間違いなく重罰を受けていただろう行為だ。ところが、何の懲罰も受けることはなかった。
 
そんな祖父も、戦後は善良な市民として東京で暮らし、時々孫(わたしだああ)を呼び寄せては遊んでいたりした。
 
人間が人間でなくなることは、そんなに難しいことではない。そのことに直面せずに暮らすことができている人は、本当に幸せだと思う。
 
大きな地震があるたびに、在日コリアンが井戸に毒を入れたなんてデマが飛び交う国で、それでも人間性をなくすのは難しいことであると信じていられる人は、本当に幸せだ。
 
今年冬の「あてがう」論争のときのわたしを指して、「「大量虐殺」とかいう物騒な妄想とキーワードを持ち出した」と述べている人を見かけた。その時はやりすぎたかな、と思ったんだけど、ふと、祖父が夢枕に立って、そんなエピソードを思い出した。