ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

わたしは、かつて、トランスフォビアを拡散していた。

 これは伏せておくべきか迷ったことではあるが、わたしがかつて犯した悪事に向き合うためにも書かなければと考えた。ただし、わたしが書いたことによって、わたし以外の誰かに悪い影響が及んでしまうのは本意ではないので、期間限定で公開する。

「女性」の残遺カテゴリーとしての「男性」(トランスジェンダーの人々を含む)

 かつて、わたしは、トランスフォビアを拡散していた。その時のわたしの頭の中には、「女性」集団があって、「女性」集団に入らない人々を「男性」集団に分類していた。そのような考えから、トランスジェンダーの人々を「男性」と分類していた。そのような意識を前提にして、「男性」が「女性」の安全を脅かさないことが関心事であった。その上で、トランスジェンダーの人々が女性スペースに立ち入って、女性の安全を脅かそうとしていると考えていた。その当時はあれこれ言い訳をしていたが、突き詰めて単純化すればこのような考え方を持っていた。

 ところが、そうは言っても、トランスジェンダーの人々を一律で「多様な男性」と分類することに違和感を持たないわけではなかった。そして、この違和感がわたしのトランスフォビアを捨てさせる原動力になる。

プライバシーの保護としてのトランスジェンダーの尊重

 おかしい。トランスジェンダー女性が「多様な男性」に分類されるのはおかしい。ふと思いついた。これは、男性対女性の問題ではなく、プライバシーを侵す者とプライバシーを守ろうとする者の対立なのではないかと。そこに考えが至ってから、トランスフォビアを捨てるまでにさほど時間はかからなかった。人は、だれしも、プライバシーを持っていて、そのプライバシーを侵されない権利を有する。プライバシーにはセクシュアリティも含まれる。そのような問題意識の下では、個人のプライバシーをいかに尊重するかが関心事になる。たとえ同じ「女性」であっても、むやみやたらに他人の裸を見ることができる環境はプライバシーの侵害ではないか。などと。プライバシーの保護を関心事とすると、どっちの性に分類するかではなく、人それぞれのセクシュアリティを含むところのプライバシーをいかに尊重するかの問いを立てることになる。そうすると、例えば風呂については、グループごとの入浴にすればいいのではないか、など、オルタナティブな考えが出てくる。「グループごとの入浴」は、松本市の小さな旅館である「旅館 松風」が実際に採用している。一人で来た宿泊客は一人で、何人かで来た宿泊客は自分たちの都合に合わせてグループを編成してそのグループごとに。小さな旅館の大浴場だからできることなのかもしれないが、ともかくもそのような実例はある。そうすると、トランスジェンダーの人々は女性の安全を脅かす存在であるとはとても言えない。女性の安全を脅かしているのはプライバシーが保護されない環境の問題である。

 そうして、わたしは、トランスフォビアを拡散していたことを深く反省した。昨日から東京レインボープライドが開催中とのこと。それに合わせて、この記事を期間限定で公開することとした。