ふらふら、ふらふら

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「マイノリティ」が権力者になるときの落とし穴

 この記事を読んだ。

www.pref.mie.lg.jp

 差別と特権は表裏一体の関係にあること、ひとはマジョリティ性とマイノリティ性の両方を併せ持っていること。そんな指摘がなされていることをわたしはここでは紹介する。

 マジョリティが持っている特権は、マジョリティには「見えない」。そして、ひとは、マジョリティ性とマイノリティ性の両方を併せ持っている。マイノリティ性を多く持っているひとが、たまたま、マジョリティ性を持った存在としてマイノリティ性をもったひとに接するとする。そこで、差別やハラスメントが発生する。マジョリティであることがどういうことであるかを知る機会が限られるから。これは、マジョリティ性が多い人でも、マジョリティ特権について知ってこなかった人も同じだが。ここが落とし穴になる。

 ここ数年わたしが見てきた、いくつもの人権侵害事件。さまざまな態様のものがあるが、わたしの目に目立って見えたのは、マイノリティ側だった人がマジョリティ側に立った時に、事後対応がぐちゃぐちゃになるパターンだ。とにもかくにも、そういう構造はある。

 これはわたしも他人事ではなく、いつか指弾されるときがくるだろうと首根っこを洗って待ってなければならない話だ。わたしはマイノリティ性を多く持ってはいるが、マジョリティ性も持ち合わせている。そのマジョリティ性で、加害をすることはある。その時、わたしはどのように受け止め、どのように反省するか。わたし自身が問われる問題でもある。