ふらふら、ふらふら

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私家版・ひきこもりの定義(試案)

判断基準
1)「精神機能」と「環境因子」が相まって、
2)「対人関係」「主要な生活領域」「コミュニティライフ・社会生活・市民生活」の領域でのケイパビリティが損なわれている状態
なお、精神機能については、精神障害と診断できる状態に限定しない

解説
 ひきこもりという現象が個人の生活上の問題を指すものであるという前提に立ち、国際生活機能分類の考え方・用語を導入した。「精神機能」「環境因子」「対人関係」「主要な生活領域」「コミュニティライフ・社会生活・市民生活」はいずれも国際生活機能分類によるものとする。
 ひきこもりと判断するためには、精神機能と環境因子が相まってその状態をもたらしていることが必要である。環境因子のみによって、または個人の精神機能のみによって生じている場合はひきこもりとはしない。これによって、たとえば貧困のみによって自宅内に活動の場が制限されるような状態は除かれることになる。1)項は、他の状態からひきこもりという現象を区別するために設定した基準である。
 2)項では「ケイパビリティ」という概念を導入した。ケイパビリティとは経済学者のアマルティア・センが提唱した概念で、氏の解説を引けば「人間の生命活動を組み合わせて価値のあるものにする機会であり、人にできること、もしくは人がなれる状態」を表すものである(集英社新書「人間の安全保障」所収「人権を定義づける議論」より引用)。簡略に言えば、ある人が現実に「なりたい状態」ないし「したいこと」を実現できる状態の集合をケイパビリティと呼ぶ。このケイパビリティが損なわれている状態であることをひきこもり状態と判断する基準とした。したがって、この定義の下では、支援団体が提供する在宅支援と称して当事者を説得し、諦めさせ、矯正施設に入れたような事例はもはやひきこもり状態を脱したとは言えない。そのような事例では、当人の「なりたい状態」「したいこと」を無視して諦めさせているだけであり、ケイパビリティが損なわれている状態であることには変わりない。
 巷間使用される「社会参加が見られない」という基準は、この定義では採用されていない。これは、ひきこもりとは人権・自由に関係する状態であるとの理解からである。なりたい状態・したいことをなしえないことに苦悩する当事者が多いことをを考慮し、このような基準を採用した。
 よって、従来の基準ではひきこもりを脱したとみなされるような就労に成功したような当事者も、当事者が望む状態を実現する自由が損なわれていれば、なおひきこもり状態と定義づけられる。従来の基準よりも広範な基準となっていることに留意すべきである。
 また、一見当事者は希望を述べていないように見えても、単純に当事者が「諦め」願望水準を引き下げているだけである可能性はあるので、ケイパビリティが損なわれている状態かどうかの判断は慎重に行うことが必要である。