東京シューレの性暴力事件、突飛な個人がいきなり起こした事件と考えるには無理がある。事件に至るまでには、数々の不安全な行動があった。さらにさかのぼれば、そのような不安全な行動を促進する組織文化があったはずだ。そのような、不安全な行動を促進する組織文化の中で、現に多くのこどもが育った事実がある。
どのような組織文化が、不安全な行動を促進したのか、なぜ不安全な行動を止めることができなかったのかを知る権利が、東京シューレで育ったこどもにはある。第一には被害者への公正な償いのために検証と総括がなされなければならないが、第二に、東京シューレで育ったこどもの「知る権利」に応えるためにも検証と総括がなされなければならない。その検証と総括はおそらく苛酷なものになるであろうが、それも「止まれなかった」組織の責任である。
そして、そのことを知ったこどもにも、「忘却しない責任」がある。自分がどのような不安全な組織文化の中で育ったのかを記憶しておかないと、どこかでふと不安全な組織文化による行動をしないとも限らない。
不登校の子どもの権利宣言がフリースクール全国ネットワークサイト上にアップされ続けている。
freeschoolnetwork.jp 今にしてみれば、この宣言にはひとつ重要な権利が欠けていたことがわかる。それは、「知る権利」である。「子どもの権利を知る権利」に限らない、自らの運命に関わること一般について広範に知る権利だ。知る権利は、すべての権利の基礎になる権利だ。知らないことには、自らの運命を左右する決定を行うことができない。