ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

静かに祈る

以前、大きな病院を受診した。朝早くからその病院に行ったので、診察が終わったころにはお腹がすいた。売店でおにぎりを買って、廊下にあるベンチで食べていた。

目の前にある救急外来の扉から、泣きながら二人組が出てきた。そのまま目の前を通り過ぎていったから、何が起こったのかはわからない。救急外来の扉から出てきたのだから、何らかの「非常事態」があったのだと思う。

のんきにおにぎりを食べている自分と、非常事態に巻き込まれた方。このとき、目には見えないけど決して通れない壁があることを、感じた。

こんな時、どんな言葉も、慰めにならない。どんな説明をつけても、何の役にも立たない。

それでも、同じような事態が再び起こるのを防止する対策が取れるのなら、まだできることはあると思える。自分は慰めにかけてはポンコツだと自覚しているので、それくらいしかできない。

突発的に悲惨な事件が、何年かに一度は起こる。そのたび、マスコミは声高に対策の必要性を叫ぶ。でも、自分には、その叫びが、なにもできない無力感をなんとか紛らわすための叫びに聞こえる。

その無力感を自覚しつつ、痛みを分かち合い、祈り、隣人に親切に振る舞い、そして日々を淡々と過ごす。それが今できることのような気がする。

かつてのある日。その朝、悲惨な事件が起きた。メディアはけたたましく報じていた。自分は早々と家を出て、路線バスに乗る。路線バスは、途中でどんどん乗客が降りていき、最後に自分一人に。終点で自分がそのバスを降りるとき、運転士さんが「お気をつけて」とひとこと。「ありがとうございます」と返す。そんなことを思い出した。