ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

ひきこもり当事者が生存できる国でないと、通りすがりの人間に「ひきこもりは社会に負担をかけるな」と説教できない

昨日は割ととんでもない目に遭った。通りすがりの人間に、「ひきこもりが社会に負担をかけるな」などと説教食らった。しかし、通りすがりの人間にいきなり説教するってのは、ひきこもり当事者が生存できるような豊かな国だからこそできる行為なんだな。以下、理由を説明する。

通りすがりの人間にいきなり説教をするってのは、その通りすがりの人間が自分に危害を加えてこないと信頼してないとできない。そういう信頼をできるのは、警察がちゃんと機能していると信頼しているからだ。そして、警察がちゃんと機能していると信頼できるのは、政府がちゃんと機能していると信頼しているからだ。だから、通りすがりの人間にいきなり説教をすることができた。通りすがりの人間が自動小銃を持っていて、説教しようものならすぐに自動小銃で射殺されて、しかも警察もまともに動かないような国なら、そんな説教なんて怖くてできない。そんな国があるのかと一笑するかもしれないが、世界を見渡せば存在する。

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まともに政府が機能してなくて、当然警察なんかも機能せず、ただ自動小銃だけが身を守るよすがである国は、それなりにある。そういう国の政府は、国民のことなんか関心もなく、ただ己の利益をむさぼることだけに夢中になっている。そんな国を「失敗国家」と言うが、その失敗国家のありさまが描かれた本だ。

失敗国家の政府は、国民に何の関心も持ってない。当たり前だが、国民に福祉を提供するつもりもさらさらない。そんなわけなので、国民も政府なんか最初から当てにせず、当然警察も機能不全。そういう国では、ごく当たり前のように自動小銃が出回っている。ついうっかり通りすがりの人間に説教しようものなら、間違いなく自動小銃で射殺されるだろう。国民を見殺しにする政府は、国民から見放されている。簡単な話だ。

中には、強権をもって国民を押さえつけているような国もある(北朝鮮とか)。そういう国では、自分の生活にいっぱいいっぱいで、とてもじゃないが他人に説教かますどころではない。

通りすがりの人間に説教するなんて行為を安心してできるのは、曲がりなりにもまともに活動している政府が存在するから。まともに活動しているってのは、要するに国民の生活を維持しようとしている国だ。当然、その国民の中にはひきこもり当事者も含まれる。「社会に負担をかけるな」と、ひきこもり当事者を説教する行為そのものが、ひきこもり当事者さえ見殺しにしない民主的な政府が存在するからこそできる皮肉。

もう一つ。そういう優生思想的なことを言う割には、ナチスホロコーストに関して何の知識も持ってなかった。それでもいっぱしの口を叩けると考えて、現実に説教をかました無教養な人間。それでも生きてこられたのは、無教養なことを大きな声で言っても誰にも咎められず、自分は絶対的に正しいと思い続けることができたから。

端的に言えば、ひきこもりは社会に負担をかけるなと平然と口にすることができるのは、社会に甘やかされてるからできることだ。

それでも、民主国家の中でも日本にしかひきこもりはいないと負け惜しみを言う人もいそうなので、あらかじめ予防線張っておく。かつて、「対人恐怖症」は日本特有の精神疾患と言われた。ところが、実際にはアメリカにも同じような症状を持つ人がいた。アメリカ発の精神疾患の診断マニュアル「DSM」に従えば、社交不安症だとかさまざまな診断名がつくことになる。同じ現象はあるけど、呼び方と解釈が違うだけだったとの顕著な例。

で、そのアメリカの統計。商務省センサス局(国勢調査などを行っているところ)が聞きました。「あなたはなぜ働かないのですか」と。(Reasons People Do Not Work: 2004)2004年の調査によれば、20歳から64歳までの1,978,000人は「働きたくないから働かない」と回答。いいですねえ、アメリカでは、「働きたくない」などと堂々と言えて。日本だと「ひきこもり」と呼ばれるところでしょうが。