ふらふら、ふらふら

あっちこっちふらふらしている人間が何かを書いてます。

青春とピアとかなんとかかんとか

 昨日は学生哲学カフェ「onecafe」主催の哲学対話に参加していた。学生哲学カフェとは言うものの、誰でも参加できる、なかなかに面白い哲学カフェだ。昨日のテーマは「青春とは」。思いっきり刺さるテーマであった。

 セッションが終わってわたしの中に残ったあれこれを書く。

 子どもの世界から大人の世界に出ていく、それは小さな世界から広い世界に出ていくことだ。親元から離れて、外の世界に。その中には、外の世界にいる人たちと親密な関係を築くことも含まれる。そこで必要になってくるのがピア。同じような過程を体験している人たちどうしのほうが、親密で対等な関係を築きやすい。ピアであるかどうかは、生活年齢やどこにいるか(例:高校に在学しているか、大学に在学しているか)で大雑把に見分ける。

 青春の過程を体験することが多い生活年齢の時期に、青春の過程を体験できなかったわたしは、いったいどうしたらいいのだろうかなんてことを考えた。たぶん、現在進行形で青春の過程を過ごしていることが多い生活年齢の人たちとはピアとしてはつながれない。曲がりなりにも成人期の体験をしてしまったので、純粋に青年期でいることはできないから。(追記:生物学的な要因も関係しますね。)

 さて、どうしたものか。いや、わたしは、答えを持っているはずだ。同じような体験をしてきた人たちとピアとしてつながればいい。現時点ではうまくいってはいないけど、過去にはうまくいっているかのように思えた時期があった。あのころは、月に二回の集まりのたびに特別な体験をしているように感じられた。それでも、やっぱり、リアルタイムで青春の過程を体験できなかった痛みは残るのだけど。

2016年10月27日、東京・浅草にて。何人かの人たちと夜の浅草を歩いた。